昭和四十五年二月九日 朝の御理解

X 御理解第六十四節 「此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。」


 「信心して徳を受けて、身凌ぎをするようになれ」と。徳を受けて、身凌ぎをするようにならしてもらうと。まあ、信心の一本立ちとでも申しましょうかね、信心の一人前とでも申しますか、信心が徳を受けてとゆうところ迄、進められないと信心はたいした値打ちはないのです。
 信心して、例えば、お参りをして尋ねに来るとゆうだけの信心ではね。言うなら、お広前におかげを頂きに来るとゆうだけなら信心の値打ちはない。
 しかし、皆んなそこから始まります。信心、まず、お願いにお伺いにお参りをする。そこで、「徳を受けて、身凌ぎをするようになれ」と。本当にそうだ。徳を受けて身凌ぎの出来るような信心を頂こうと意欲するところから、いわゆる信心の稽古に通うて来るようになります。
 同じ、言わばお参りをするでも、お参りの内容が全然変わって来る訳ですね。この事ば頼む、この事ばお伺いしてこようとゆうお参りから、いわゆる信心の稽古に、それも徳を受けて、身凌ぎをするようにならせて頂く為に、徳を受ける為に、信心の稽古に、いわゆる、ここには信心の稽古に来る所とゆう事になる。
 段々、おかげを頂いて、身凌ぎがでけるようになる。徳を受けてきたのである。
 そこから、どうゆう事になるかと言うと、今度は、ここには、そうしなければおられないとゆう、なる程、教えが身に付いて、お徳を受けて、身凌ぎが出来るような、おかげを頂いて、有り難いなあ、勿体ないなあと、金光大神の日々の御神勤、御取次のおかげで、このようなおかげが受けられるようになったと。
 そこから、いわゆる、お礼参拝がでけるようになる。毎日のこうやって朝参りも、やはり、うちにじっとしてぬくぬくとして寝ちゃおられん、金光様は、もう四時からお出ましになって、私共の事を祈り続けておって下さる。御取次成就の為に願い続けておって下さる。その事を思うたら、うちにはじっとはしてはおられない、ぬくぬくとして寝てはおられないとゆうところから、お礼参拝が出来る<訳です>。
 私は、身に徳を受けて、身凌ぎをするようになるとゆう事の最後のところは、ここだと思うんですね。よく、言うならば、教え、金光様の御信心はこれだと。まあ、なにかそこに、ひとつのおかげを頂くコツあいとでも申しましょうか、教えを身をもって行じて、おかげを受けて、いうならおかげの勘どころといったようなものを掴んで、おかげを頂きます。なる程、それで身凌ぎが出来る訳ですけれども。
 それがね、本当のお徳に成就してゆくとゆう事は、やはり御礼参拝。そうゆう私は、信心を頂くとゆう事はです、もう、いよいよおかげの道が開かれるというか、限りないおかげが約束されるというか、いわゆる年勝り、代勝りのおかげの受けられる、私は、土台とゆうのは、そのへんのところからだと、こう思います。
 人間誰しも、やはり慢心しておらんようであって、慢心が出てまいります。少し信心がでけてきて、自分でおかげを頂くコツあいが分かってきて〔出来てきたり〕致しますと、御礼参拝の方が段々出来んようになる。
 ですから、いわゆる、限りないおかげとうゆう事につながらない。何とはなしに、なる程、おかげを頂くコツあいは覚えましても、家の中に何とはなしに、おかげの受けられんような雰囲気が段々出来てきます。
 この頃、平田さんのお話の中にもありましたが、「自分の方の本家もやはり信心する」と。「やっぱり、億のつく程の山やらを持っております」と。「おかげを受けましてね」と、話しておられました。
 ところが、その子供達がついて来ん。〔そう〕すると、片一方、平田さんの方は、もう、とにかく、毎日毎日が神様の御用の事の為に、もう自分を忘れてのあのような御信心が出来ておる。もう財産は変わらんに致しましても、自分の所では、家内、子供が皆んなついて来ると。お兄さんのおうちらしいですね。本家ち言いよんなさいました。だからですね、そうゆう二つのおかげを頂いていく系統があるんですよ。
 だから何とはなしにね、家庭の中にそうゆう雰囲気が出来てくるとするなら、本当に、そこに考えなきゃいけない。おかげを受ける迄、一生懸命参って、いわば、お尋ねをする程度の時迄は、どんな、もう道が遠かろうが寒かろうが暑かろうが参った。お尋ねをしては帰っておかげを受けた。
 それが、段々、信心の稽古に通って来るようになった。お参りの内容が変わってきた。信心の稽古がある程度出来た。はあ、金光様の御信心は、ここさえひとつ間違いなしに頂いときゃ大丈夫だといったような自信が出来てくるようになり、だから、その辺のところを身凌ぎが出来るといったようなふうに勘違いするんですね。
 なる程、それは毎日毎日参らんでも、おかげ頂いとるといったような事も言うようになる。<どうも>その辺のところから、いよいよ、いわば、子孫繁盛、家繁盛とゆうようなですね、おかげの分かれ道は、その辺からある。
 稽古に通うて稽古が出来た。ある程度の事は、言わば一通りの事はマスタ-出来た。その辺のところからですねえ、いよいよ、有り難い勿体ないとゆう心がね、段々薄くなってくる。いわゆる、うちにじっとしちゃおられん、ぬくぬくと寝ちゃおられんという程しのですね、いわゆる感動的な御礼参拝といったような、感動的なその信心の喜びが、世のお役に立たなければおられない、人《が》助かることの為にといったような働きになってこない。
 そこからです、有り難い有り難い、いわゆる、まあ、それ迄は、お広前に、まあ、いうなら、銀行にお金を、同じ通うでも、お金を借りに行きよったのが、この頃は、毎日、銀行にお金を預けに行くといったような信心がです、でけてくるのは、私は、そうゆう御礼を中心にした御礼参拝が出来るようになる程しの、おかげを、日々頂いていく事だと思う。思うたら、もうじっとしちゃおられん。そうゆうようなものが、こう高まってくる。
 先日、朝参りを久留米の佐田さん達がああして家族でなさっておられますが、又、午後からも、おばあちゃんと若奥さんと二人で参って来なさった。「何ごとでしたか」ち。「おばあちゃんと二人でお話をしとりました。本当におかげ頂いておらなければ、現在の佐田はない」と。佐田の家がこうやっておかげ頂いて来た事を、お話しよったら、段々、高まってきた。おかげ受けておるなあと、有り難いなあとゆうことになった。「まあいっちょ、おばあちゃんお礼参拝しましょうや」ち言うてから、昼から、又、参って来た。それだけの事である。
 思えば思う程、考えれば考える程、おかげを受けておる。お礼参拝させてもらわにゃおられないと、もう、うちではじっとしておられないとゆうところにですね、私は、本当に信心によって助かっていっておる人の姿とゆうのは、そうゆう事が、私は理想でなからなきゃいけないと<思う>ね。
 それも、もう高嶺の花といったようなものではなくて、それが、もう本当に実感としてですね、頂けてくるとゆうところ迄、高められていかにゃいけません。
 まあ、ここの六十四節を頂ますと、いろいろに頂き<ます>。「身に徳を受けて、身凌ぎをするようになれ」と。やはり徳を受けなくても、やはり信心の稽古が段々出来てまいりますとね、身凌ぎがでけてくるようになるです。徳は受けなくても、そこに、信心のデリケ-トなものがある訳です。
 昨日、特別奉修委員の方達の御祈念会でございましたが、その後に皆さんに聞いて頂いた事でしたけれど、久冨くにかさんが、お知らせを頂かれた。『一番下の娘さんがみどりさんと言いいますが、みどりさんが亡くなっておられる。お墓を建てておられる。いわゆる、娘の名前がちゃんと石碑に書いちゃる。横には大きな杉の大木があるとゆうようなお知らせであった。』
 誰だって、やっぱそうゆうお知らせ頂いたら、心が真っ暗になりますよねえ。可愛ゆうてたまらん一番下の子供。しかも兄弟の中では、丁度信心を本気で頂くようになって頂かれたお子さんですから、子供ながらも一生懸命信心深い。その可愛ゆうてたまらん子供が亡くなったとゆうお知らせ。又、亡くなるぞ、と言わんばかりのお知らせ。心が真っ暗う、やはり誰だってなります。
 神様にお縋りをさせて頂いて、その朝の御理解をふと思わせて頂いた時にです、「金乃神の大徳に漏るる所はなきことぞ」とゆう御理解を朝頂いておったことが頭にひらめいた。「金乃神の大徳に漏るる所はなきことぞ」と。
 例えば、生死を通してです、生きる死ぬるを通してです、「金乃神の大徳に漏るる所はなきことぞ」と、今朝頂いた御理解がね、脳裏にひらめいてきた時にです、たとえ、生きようが死のろうがです、これはお礼申し上げるより他にはないと気付かれた。
 可愛ゆうてたまらん、いわば、最愛の子供がです。おひきとり頂くとゆったような事になりましても、おひきとりを頂いたその先は、やはり、あなたのおかげを頂かなければ出来ない。金乃神の大徳に漏るる所はなきことである事を、今朝、こんこんと頂いたばかりじゃなかったかと思うた時に、心が晴れてきた。有り難いねえ、信心の稽古に通うて来ておる。
 そうゆう例えば、人間のまあ最高の不幸せ、不幸と思われるような事に直面してもです、心が開けてくる。『その事を、神様にお礼を申させて頂いておられましたらですね、<すっと>朝日が昇るところを頂かれた。』
 もう、この辺のところが実にデリケ-トです。おかげを受ける、受けないの、いわゆる紙一重とゆうところです。そうゆう心もち、そうゆう心の状態とゆうものがです、信心によって開けてくる。
 いわゆる朝の日の出のような、すがすがしい有り難い、いや日の出と言や、繁盛とゆうことであろう、おかげとゆう事あろう。片一方は、本当に杉のお知らせを頂いておられるように、本当に心が滅入ってしまう程にさみしい悲しい事に。
 けれども、それとても、「金乃神の大徳に漏るる所はなきことぞ」とゆう、み教えが生きてきた。私は、これはいわゆる、身凌ぎを頂いておられる姿だと、こう思います。
 ですから、こうゆう事が言えますよ。こうして日々お参りをさせて頂いて、先日、秋永嘉郎さんが言っておりますように、朝の御理解をね、一言でも本気で、一日(いちじつ)それに取り組んで行ずる以外にはないのだと、信心生活とは。そこから、信仰体験が生まれてくるんだと。私は、この事を思い込ませて頂いておるとゆうような発表をしておられます。
 これなんかは、いわゆる、徳を受けて、身凌ぎをというところ迄はいかんに致しましても、徳は受けておらんに致しましてもです、もう身凌ぎが出来ておる姿ですねえ。
 いわゆる、それがです、ここにはお参りをして来る、いわゆる、お尋ね所としてお参りして来ておったところから、ここは信心の稽古場として、お参りして来るようになっておるとゆう、これは久冨さんの場合でも、嘉郎さんの場合でも、それが言えます。
 稽古の喜び、稽古の楽しみなんですね。私は、もう信心はね、ここの稽古の楽しみが出来なければ、絶対、お徳は受けられんと思うね。それからですよ、徳を受けてというのは。
 久留米の井上さんが言うておられます。一昨年の寒修行の時には、主人が、「こげん早よから、毎日うちの事は放からかしてから、朝参りしてから」と、言うては、非常に。けれども、「そうゆう事は、言うならば放からかして、いくら言われてもです、放からかして参って来なさいと、親先生が言いなさったから、もう本当に主人との仲に、いざこざがいつもその事であるけれども、神様にお縋りしてお参りさせて頂いておった」と、こう言う。
 去年の寒修行には、そのお参りを、もう諦めた事かどうか知らんばってん、主人が全然その事に対して言わんようになった。「先生、今年はその主人が、ほらもうお前、もう朝の御祈念にお参りする時間ぞと言うて、寝忘れてでもおると、起こしてくれるようになりました」と。
 段々、おかげを頂いて参りすとゆう事はね、家庭の中にも、そのようなね、働き動きがなからにゃいけんのです。
 「もう、私の方ではおばあちゃんを初め、子供達に至る迄、まあ中学校に行っとりますみつろう君、高校行っとますゆみ子さん、もう本当に、それこそ親が褒めちゃおかしいけれど、子供達に教えられます」と。もう事があると、それを全部信心で、親子でお話し合いが出来るとゆう家庭の雰囲気が頂けて、最近なんかは、例えば主人が風邪を引いて熱発でも致しますと、「さあ御神酒さんを」などと言うと、「こげん熱のあるとにどうして酒飲むか」ち言うてから、おごりよった主人がです、「早う、御神酒様、御神米」と言うてくれるようになりました」と、こう言う。
 先日も、これは、どこの年寄りでも同じですけれど、やはり何十年間やってきた、一寸した事が若い者には、例えば、お炊事場の片付けなんかでもですね、いわゆる今の人達のようなふうにはいかん。もう本当に、これは毎朝、母が朝のお食事の後は、自分がせんならんもんのようにして御用頂いてくれますのは、いいですけれども、おふきんなんか〔を〕洗ったら、もう、一寸、そこに、どげでん引っ掛けちからする。もう、なんべんもなんべんも、「もうおばあちゃん、ちゃあんとフキンを掛けるもんがあるけん、ここに掛けといて下さい」。「はいはい」ち言いござるばってん、やっぱ絶対しなさらん。
 そんために、例えば、いくら言うたっちゃと、自分が心汚しておりましたけれどもです、私は、先日からですねえ、例えば、お炊事に一寸降りた時に、おばあちゃんがしなさった後にです、自分が一寸引っ掛けたら、なあにもなかごつじゃけん、もう年寄りには言うまいと思うたら、もう全然心に引っ掛からんようになりました。思わんで済むようになりました。そしたら先生、おかげ頂いてから、母が今度はそればキチ-ッとするようになったと言うて、昨日、御届けをしておられました。
 言うて出来ない事がです、もう、とにかく、言う事、その事が信心でないと気付かせて頂いて、黙ってさせて頂く事に、もう自分が引っ掛からんようになった。これが、もう、一事が万事全ての事に、応用出来る。そうゆう体験が頂けた、と。私は、見事に身凌ぎがでけていかれよる姿だと、こう思う。しかも、その身凌ぎの信心が、家族中のあのような信心に、段々、おかげを頂いておられる姿であると、井上さんの、久冨さんの、嘉郎さんの、例は、これは身凌ぎが段々出来ておらる姿だと、こう思います。
 ですから、そうゆう身凌ぎが出来るようになったからと言うてです、おかげの受けられるコツあいとゆうものを覚えた、もう合楽では、和賀心が焦点に、全ての事が運んでいかれりゃ、もうそれでいい〔と〕、確かに、そうなんです。
 とゆうて、その辺のところで、いわば、腰掛けた信心になるところからです、おかげは受ても、それこそ、平田さん達兄弟の例を申しましたが、それこそたくさんな田地、田畑、山までもおかげ頂いて、やはり億のつく財産家にはなった、おかげ頂いたけれど〔も〕です、何とはなしに家庭の中にですね、これじゃあ、次にいわゆる子に孫に良いものが伝わってはいくまいとゆう、いわば暗雲が家の中に漂ってきた。黒い雲が家の中に漂うてきた。
 自分一代はよかろうけれども、〔これが〕子供になったら、孫の時代になったらとゆう不安《を》感じなければおられないような状態があるけれどもです、それを感じないですねえ。おかげの方のそれに惑わされておる訳でしょうかねえ。それは、平田さんのお兄さんの方の本家の方の話。
 そこで、例えば、〔そ〕んなら身凌ぎが出来るようになれと、おかげを受けられたが、徳を受けて身凌ぎをするようになれとゆうところ迄、いかなきゃ〔いかん〕。徳を受けて身凌ぎが出来る、その徳とゆうものは、どうゆう事かと言うと、人が助かる事さえ出来すればとか、より大きな光とゆうものが放たれていく喜びとでも申しますか。同じ、例えば、お参りでもです、お礼参拝させてもらわなければおられない。御用でもお礼のしるしにさせてもらわなければおられない。御礼心しるしが、あのような働きになっておられる。
 そこには、家内は勿論の事、子供達に至る迄が皆んなお父さんの信心について来る。自分がこのようにして、御用を頂いて回っておっても、いくつものお仕事はあるそうですけれども、それが全部おかげを受けておるとゆうような事になってこなければです、いわゆる、「徳を受けて、身凌ぎをするようになれ」と、おっしゃる信心にまだ悖っておる訳でございますから、どうでも身に徳を受けて、身凌ぎをするようにならせて頂かなければいけません。
 ですから、もうこの位でよいとゆうような事はあろうはずがないです。ですから、お尋ねにお参りをする、信心の稽古に参って来る。もう、この位稽古が出来たから、自分な一人前といったような思いで、そこで腰を掛ける。稽古とゆう間は、やっぱりひとつの稽古が出来ると、もうそうゆう事になってくる。
 けれども、その稽古がもう少し高められて参りますとです、その稽古の結果が、このようなおかげを受けてということになり、佐田さんの例じゃないですけれども、おばあちゃん、もう一遍お礼参拝させて頂ましょう、と例えば、お供え物のひとつも整えて、又、昼から、お礼参拝をしてきておられる。
 そのお礼参拝が出来るとゆう、うちにはじっとしてはおられん、ぬくぬくとして寝ちゃおられん。そのお礼参拝、それが、私はもう全て徳になると思う。
 そうゆう信心が、御祈念するでも、お願いをする御祈念から、お詫びをする御祈念から、あれを見、これを聞きするたんびにおかげ頂いておる事実をまの当たりにしてです、一寸、御神前に出て、その事をお礼申し上げねばおられないとゆう信心。
 金光様の御神勤を思うたら、うちにじっとしてはおられんとゆうお礼参拝。そうゆう私は信心がです、お徳にならんはずはないと思うです。そこの為に、ひとつお互いが本気で身凌ぎの出来る、しかもお徳を受けて身凌ぎの出来れる信心を目指さなければならないとゆう事が分かります。
 二、三日前に、もう豊美の結婚式の時の時分に、大体出来てきとらなければならなかったのが出来てなかった、家内の紋付がある。お月次祭やら御神前に出て来る時に着らしてもらう羽織りを、文男さんが引き受けていっとったのが、それ一枚が出来てきてない。もう、そげん急ぐこちゃなかからと言ったのが、二、三日前出来てきた。
 ところが、言うなら、まあ大失敗ですよねえ。この紋が入らなきゃならんのに、この輪の付いた紋が出来てきてるんですね。ほら、染め上げたものでしょうから、一寸、もう、ようくようく言うてあったんです。梅ばちでじゃなくて、この梅の紋じゃある。
 大体、大坪の家の紋は、これにこう輪のあるのが本当ですけども、皆んな、私の紋を一律に頂こうとゆうので、皆この紋にしておった。それが<文男さんにも>充分、向こうにも言うてあったのにもかかわらず、出来てきた時には、おなごん紋に男紋のごたるとに付いてきてからと、まあ言いましたけれどもです、はあ神ながらな事だなあと、私は思うたです。
 これは、もう、やがて二十年近く前ですか、私の長紋付を秋永先生が、お供えをする為に、輪のあるそれを作る為に、京都に注文されたんです。出来上がってきたところが、この紋じゃった訳です。
 「こりゃ、あんた紋が違う、折角お供えさせて頂くとに、紋が違うちから」ち言うて持ってみえたけれど、「まあ、お供えじゃから、とにかくお供えさせて頂きましょう」と言うて、御神前にお供えさせて頂いた時にです、『この輪が取れる御理解を頂いたんです。『
 この輪が取れなければね、大きゅうなれんて、輪があっちゃ、自分の我があったり、我情我欲があったんではです。自分の枠とゆうものがあったら、もう自分の枠以上に大きゅうはなれんち。
 自分な一升瓶であってから、一斗の酒下さいと言うたっちゃ、一斗の酒がもらわれんようにです、限りなく大きくなる為には、この我情我欲という自分の小さい枠をゆうものを取り除かなければ、とゆう御理解を頂いて以来、私の紋は、この紋になったんです。
 だから、私は、もうこの枠が取れた、我情我欲が取れた、とゆう訳じゃないけれども、それを目指して日々信心の稽古をしておるのですけれど、家内の場合は、それを目指してはいない。まあだ、昔の大坪の紋を頂くだけの資格しかないんだと、神様が言うてござる。だから、本人が、いよいよ、そうゆう事ではいけないと、自分自身が気付いてです、この枠を取っていこう、自分の思いを捨てていこう、我情我欲を捨てていこうとうゆう意欲とゆうか、そうゆう姿勢にならせて頂いたら、全てのことがね、信心に焦点が置かれる事になってくるんですよ。
 はあ自分の枠のある証拠に、この位の事が心配になる。自分にこうゆう、まあだ我情我欲があるからこそ、この位の事が腹が立つ。枠が無かったら、そうゆう事があるはずがないです。おかげで、そのたんびに大きゅうなれる、とゆう訳なんです。
 皆さんも、ひとつ、この枠を取らなければいけません。だから、そうゆう事に本気で気付かせて頂いて、私は、事に取り組ませて頂くとゆう事は、もうその人は、身凌ぎの出来れるコツあいを覚えた訳です。
 「身凌ぎをするようになれ」と、こうおっしゃる<のは>、この位の事が自分の心の中にはばからん。この位の事が、もう難儀で難儀でたまらん程に感じる、たったこの位の事が心配で、〔夜も〕眠られん。自分とゆう者が小さいからです。自分の枠があるからです。神様にお任せするとゆう心がないからです。こうしてああなったら、どうなるじゃろうかと、先の先まで、心配せんなならんとゆう事は、自分が、いわば、我情我欲がいっぱいだから、そういう事になってくるのです。
 ですから、それを、言わば私の場合は、神ながらに輪が取れておった。家内の場合は神ながらに輪が付いてきた。そこに、家内が悟らなければならんところがある、と私は思うのです。
 だから、それに気付かせて頂いた時には、もう〔そ〕んなら家内は身凌ぎの信心がこれから出来るとゆう事になります。
 だから、身凌ぎが出来るとゆうだけではいけません。徳を受けて、身凌ぎをするようにならして頂けれるおかげを受けなければなりません、ところにです、今日、私が申します、ここには、お礼参拝をさせて頂く。それも、うちではじっとしておられんとゆうようなお礼参拝が出来るようになる時です、徳を受けて身凌ぎをするように段々なっていく姿だ。
 これならば、もう親の代よりも子の代、一年勝り代勝り、日勝り月勝りのおかげの受けられる、ゆうならば神様が約束をして下さるようなもの、そうゆう心が出来てきたら、限りがない、もうこれは広がるとゆう事は、もういよいよ末広がりに広がっていく事は間違いがないとゆう事。
 その間違いがないとゆうところ迄ね、お互いの信心を高めさせて頂く楽しみを持って、信心の稽古をさせて頂かないけんと思うですね。
どうぞ。